大阪ビルメンテナンス協会へ石川博崇参院議員の青木正伸秘書と訪問し、加藤浩輔・同政治連盟理事長と懇談しました。席上、日頃の支援に感謝すると共に次期衆院選の佐藤茂樹(大阪3)、國重徹(大阪5)、伊佐進一(大阪6)、北側一雄(大阪16)、比例区近畿ブロック候補の支援をお願し推薦決定をして頂きました。
写真左から南恒彦協会事務局長、青木秘書、加藤理事長、鈴木
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大阪・黒門市場商店街の方からの経営相談で久しぶりに黒門市場を訪問しました。10年ほど前からインバウンドで、平日の朝から大賑わいでしたが、新型コロナウイルス感染の影響で今ではその面影もありません。
私にとって、黒門市場は、高1の夏、魚屋さんにアルバイトをした思い出の場所。当時の顧客は、ミナミの飲食店が大半で、あとは近所の方で、下町の人情が漂う親しみのある街でした。淋しい限りです。
アジアの観光客で人気の心斎橋や道頓堀が近いこともあり、黒門市場にも訪日客が急増。ステーキの立ち食いメニューなどこれまでの顧客よりも訪日客をターゲットにしたため、大阪の台所としての黒門市場の食文化が失われ、日本客の足が遠のき今回のような結果になったと思います。
コロナ禍が治まれば、インバウンドが戻ってくるでしょうが、京都の錦市場や金沢の近江町市場のような地域との密着をベースにしながら観光客を受け入れる装置づくりが必要です。
お世話になっている企業の調査依頼で滋賀県内に。その合間に「草津宿本陣」を訪問。
ほぼ完全な形で残る本陣は、国史跡に指定され、敷地約4,800㎡、部屋数39室を数える最大規模の建物です。本陣は街道を往来する大名や公家などの休泊施設で、展示物には、浅野内匠頭、吉良上野介、新選組、皇女和宮、シーボルトが訪れた大福帳などが残され、江戸時代にタイムトリップしたような気分になります。
草津宿は、東海道と中山道が合流する交通の要衝で、旅籠が72軒あったとされ江戸時代は人と物が行き交う栄えた最大規模の宿場でした。
1816年に設置された「追分道標」には、「右 東海道いせみち/左 中仙道美のぢ」と刻まれ江戸時代の面影が偲ばれます。