最後の太閤園

今月30日で廃業する太閤園の淀川邸で、親しい方々と最後の食事会を催しました。月末まで予約で満室だそうで、喫茶も順番待ち。大阪人にとって親しみのある太閤園がなくなるのは淋しいことですが、歴史的、文化的な価値のあるこの地が、再び大阪の新しい文化拠点として出発されるのを、皆さんが楽しみにしておられました。本日の会場は、創業者の藤田伝三郎男爵の主室であった書院造りの「松の間」を用意してくれました。写真の料理は太閤園銘品の「青梅の煮」。今年も煮物に挑戦しましたが温度調整がうまくいかず失敗に終わりました。

松の間での食事会
書院造りの床の間
仏間
縁側から庭園を望む
入口から庭園を望む
回廊式の廊下
左が青梅
閉店の記念品
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30年前の雲仙普賢岳噴火

本日は、長崎県雲仙普賢岳の噴火火砕流で43人の犠牲者を出してから30年。6年後の平成8年6月に終息宣言が出されるまで、島原市を中心に被災家屋は約2500軒、避難者は約1万1000人に上りました。この時始めて「火砕流」や「土石流」という噴火災害の怖さを知りました。
平成9年12月2日、大阪府議の有志で、被災者への支援、災害救助、復興策を調査するため島原市役所や現地を訪問。発生時の島原市長であった鐘ヶ江管一氏とも会い、当時の対応を聞かせて貰いました。 これらの調査したことを大阪府の防災対策に活かせたと思っています。

災害のひどかった深江町の家屋
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