suzuki について

学校法人常翔学園評議員、大阪工業大学学園校友会枚方支部長 (社)大阪府建築士会顧問 (社)大阪ビルメンテナンス協会政治連盟顧問 津田サイエンスヒルズまちづくり協議会顧問 枚方市議会日華親善友好議員連盟顧問 【略歴】 1949年(昭和24年)1月7日大阪府生まれ。 総合経営株式会社(現ダイヤモンドリゾート)取締役営業部長・ホテル事業部総支配人を経て、87年4月枚方市議会議員に初当選。 二期務め95年に大阪府議会議員に初当選。 99年、03年、07年に当選4回。 その間、 【市議会】枚方市監査委員、市議会文教常任委員長。 【府議会】党幹事長、政調会長を各2期務め、大阪府庁舎建設推進委員長、企業水道常任委員長、102代副議長。第2京阪道路建設推進議員連盟事務局長、日米友好親善議員連盟副会長、日華友好親善議員連盟副会長、日韓友好親善議員連盟副会長、大阪府私立幼稚園振興議員連盟副会長、中之島新線西大阪延伸線問題協議会副会長を歴任。 【党】公明党府本部団体局長、宣伝局長、政策局長、議会局長、労働局長を歴任。 著書に「一年生議員・みなさんアノネ!」美健ガイド社刊、「12年目の履歴書」モリスブラザース社刊、「議会のホンネ、一筆啓上」アスク社刊、議会情報報告誌「飛耳長目」を毎月発行していた。

巨大なレリーフ「糸車の幻想」

大阪地下鉄「堺筋本町駅」の交差点南西角の大阪商工信用金庫本店ビルの2階に、フェニックス・モザイク「糸車の幻想」という巨大なレリーフがあります。これまで毎月、会議で訪れる駅ですが、まったく知らず建築家・安藤忠雄氏が保存の提案をしたとお聞きして始めて見学しました。
1961年に東洋紡がこの場所にビルを建設する際、屋上に繊維産業の街・船場をイメージさせるため建築家の今井兼次氏に依頼して制作されました。糸車をモチーフに陶磁器の破片で幅18㍍高さ12㍍のモザイクに組立てた作品です。2017年6月に安藤氏の設計で建て替えたときに、大阪商工信金が提案を受け大阪の歴史的資産を再生保存されたものです。本町通り側からも見えますが、専用階段で上がれいつでも開放されています。

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太閤園で名残惜しい会

本年6月末日をもつてコロナ禍の影響で廃業することになった藤田観光の太閤園淀川邸(大阪市都島区)で、自衛隊関係者の方とプライベートの「名残惜しい会」を行いました。
これまで諸会合で心のこもった接遇をして頂いたことに感謝をするため、あと何度か利用したいと思います。庭園の桜が満開ですが、来年は見られなくなるのは残念です。しかし、藤田美術館は来年オープンするそうです。

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子供の夢を作り続けた宮本順三記念館

私たちの年代なら誰もが知っている江崎グリコのオマケ付き菓子。どんなオモチャが出てくるのか、ワクワクしたものです。そのデザインを手がけてきたのは宮本順三さん。制作数は約3000種類にのぼり、生涯、子供の夢を作り続けた偉業を讃え東大阪市の八戸ノ里駅前に「宮本順三記念館」が設置されています。 1978(昭和53)年、宮本さんのご家族と一緒に台湾旅行をしていましたが、当時は宮本さんのことがわからず、最近になって同一人物と知り記念館を訪問。親族で学芸員の磯田武士さんが案内してくれました。 宮本さんは、2004年に亡くなられましたが、35(昭和10)年江崎グリコに入社。創業者の江崎利一に菓子に玩具のおまけを付けることを提案し玩具のデザイナーとなられた。戦後、江崎グリコを退社されても97年までグリコのおまけを作り続けられました。 宮本さんの語録には『小さなネズミがうんと大きくなると子どもは喜びますが、大きな象が豆粒になるともっと喜びます。上等のおもちゃなら百貨店やオモチャ屋にいくらでも売っています。金では買えない小さなおもちゃを造ろうと思うたんです。小さいけれどもちいさいものはかわいいし子どもは元来、ちいさなものに味方します。それに次々集めていくことを喜ぶんです』とあり、終生、子供に夢と希望を与え続けた宮本さんに敬意を表します。

オマケ付きオモチヤのコレクション
世界各国から収集されたオモチャ
グリコ創業者の江崎利一氏からの感謝状
右手前が宮本ご夫妻、後ろ右は次男、隣が鈴木、左端が次女
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東海道関宿(亀山市)

三重県津市の帰路、以前から行きたかった東海道五十三次の47番目の宿場町である関宿(亀山市)に立ち寄りました。江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた町家が約2㎞にわたり200棟以上が現存。1984年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。関宿旅籠玉屋歴史資料館や関まちなみ資料館は、残念ながら休館日で見学が出来ませんでしたが、眺関亭(チョウカンテイ)では2階から関宿を見渡せ街道の雰囲気を感じさせてくれました。宿場町や建屋に関心があり、コロナ禍が落ち着けば、中山道の馬籠宿(岐阜)、妻籠宿、奈良井宿、海野宿、追分宿(いずれも長野県)にも行ってみたいと思っています。

眺関亭(チョウカンテイ)では2階から
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津城跡

お世話になっている会社の訪問で三重県津市に。会議まで時間があったので近くにある津城跡に立ち寄りました。織田信長の弟信包が築城した後、築城の名手藤堂高虎が四国伊予から移封し、1608年から改築。明治維新まで32万石の城下町として栄えてきました。現在は本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみで美しい日本庭園と西洋庭園となっています。

写真は、復興された三層の隅櫓。白壁には老松が生え苔むす石垣。
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茨木市議選5期目に挑戦する河本光宏さん

茨木市議選挙が本日、告示されました。5期目に挑戦する河本光宏さん。静岡県立大学薬学部を卒業して製薬会社勤務の後、平成17年1月から茨木市議に。新薬の臨床開発に従事したことから専門知識を駆使し、新型コロナウイルス感染症緊急対策に奔走。市民の命と健康の大切さを追求し続ける努力の人・実行力の人で、茨木市には重要な人です。応援に駆けつけて頂いた大阪土地家屋調査士会の中林邦友会長(右2人目)、加藤幸男政連名誉会長(左端)、松本充司政連幹事長(右端)。

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子守、昇、倉氏と懇談

40年来の友人である出版社美健ガイド社の倉秀人社長の紹介で、フリーアナウンサーの子守康範氏と医師の昇幹夫氏と懇談しました。 子守氏は、毎日放送アナウンサーを経て1999年に自分史ビデオ制作会社アンテリジャンを設立。現在、MBSラジオでレギュラー番組「子守康範・朝からてんコモリ!」(月~金AM6〜8時)、NHK総合テレビ「えぇトコ」ナレーターで活躍中。身長198センチで日本一背の高いアナウンサーです。 昇氏は、九州大学医学部卒業後、大阪と佐賀で産婦人科診療もしながら、笑いの医学的効用を研究。日本笑い学会副会長、元気で長生き研究所長として 「笑いと健康」をテーマに全国で講演活動されています。【写真】右から倉、子守、鈴木、昇(敬称略)

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「人道の港敦賀ムゼウム」を視察

第二次世界大戦中に杉原千畝の命のビザで救われた多くのユダヤ人難民が福井県敦賀港にたどり着いた史実を紹介している「人道の港敦賀ムゼウム」※が、11月3日にリニューアルオープンし、開西敦賀交流会(高橋伸治会長)からご招待を頂き参加しました。 夫人の幸子さんとは1994年3月、メセナひらかたにお招きした講演会でお会いしました(花束を持っておられるのが幸子さん)。08年10月8日に94歳でなくなられましたが、ご夫妻の功績は厳然と敦賀に残されています。 敦賀は、サラリーマン時代にリゾートホテル事業開発を手がけたことからひとしお愛着のある街です。※ムゼウムとはポーランド語で資料館です。

オープンのテープカット
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岩国市の「錦帯橋」見学

広島出張の合間に足を伸ばして1度は訪れかった岩国市の「錦帯橋」に来ました。江戸時代(1673年)にかけられた5連の木造アーチ橋は日本三名橋の美しい橋。特に橋の裏側の木組みの幾何学模様が美しい。(橋の下から右山頂に岩国城が見えます) 洪水により100回以上も架け替えを繰り返した土木建築技術の粋を集め、橋の全長193.3m、アーチ部分の最高点は川床から約13m、60tの重さに耐えうるそうです。

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おおさか建築祭2020

おおさか建築祭2020が大阪工業大学梅田キャンパスで開催されました。主催の(公社)大阪府建築士会の田中義久副会長が中心で取り組まれ、過去から未来へ大阪の強みを活かした価値の共創をテーマに、まちづくりや医療福祉との連携シンポジウムで在宅医療の環境を建築と医療から活発な提言がなされました。

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