suzuki について

学校法人常翔学園評議員、大阪工業大学学園校友会枚方支部長 (社)大阪府建築士会顧問 (社)大阪ビルメンテナンス協会政治連盟顧問 津田サイエンスヒルズまちづくり協議会顧問 枚方市議会日華親善友好議員連盟顧問 【略歴】 1949年(昭和24年)1月7日大阪府生まれ。 総合経営株式会社(現ダイヤモンドリゾート)取締役営業部長・ホテル事業部総支配人を経て、87年4月枚方市議会議員に初当選。 二期務め95年に大阪府議会議員に初当選。 99年、03年、07年に当選4回。 その間、 【市議会】枚方市監査委員、市議会文教常任委員長。 【府議会】党幹事長、政調会長を各2期務め、大阪府庁舎建設推進委員長、企業水道常任委員長、102代副議長。第2京阪道路建設推進議員連盟事務局長、日米友好親善議員連盟副会長、日華友好親善議員連盟副会長、日韓友好親善議員連盟副会長、大阪府私立幼稚園振興議員連盟副会長、中之島新線西大阪延伸線問題協議会副会長を歴任。 【党】公明党府本部団体局長、宣伝局長、政策局長、議会局長、労働局長を歴任。 著書に「一年生議員・みなさんアノネ!」美健ガイド社刊、「12年目の履歴書」モリスブラザース社刊、「議会のホンネ、一筆啓上」アスク社刊、議会情報報告誌「飛耳長目」を毎月発行していた。

30年前の雲仙普賢岳噴火

本日は、長崎県雲仙普賢岳の噴火火砕流で43人の犠牲者を出してから30年。6年後の平成8年6月に終息宣言が出されるまで、島原市を中心に被災家屋は約2500軒、避難者は約1万1000人に上りました。この時始めて「火砕流」や「土石流」という噴火災害の怖さを知りました。
平成9年12月2日、大阪府議の有志で、被災者への支援、災害救助、復興策を調査するため島原市役所や現地を訪問。発生時の島原市長であった鐘ヶ江管一氏とも会い、当時の対応を聞かせて貰いました。 これらの調査したことを大阪府の防災対策に活かせたと思っています。

災害のひどかった深江町の家屋
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北河内5支部協で摂南大農学部見学

摂南大学枚方キャンパスの農学部見学会を守口門真・寝屋川・大東畷・交野・枚方で構成する常翔学園校友会北河内5支部で開催しました。コロナ禍のなかで密を避けるため、大学の配慮で500人収容の大教室で説明会を行うなど、すべての場面で新型コロナウィルス感染症防止に最大限の配慮を行いました。荻田学長、久保学部長から歓迎の挨拶を受け、国分事務室長からの概要説明の後、施設を見学しました。大阪府内で唯一の農学部として食農ビジネスの学舎として注目されています。見学会に先立ち行われた枚方支部総会では、新支部長に高島淑孝氏が選出されました。

密を避けて大教室で開催
農場の見学
農場の見学
参加者で記念撮影
荻田学長の挨拶
久保学部長の挨拶
枚方支部長に就任された高島淑隆氏
北河内5支部協議会を代表して挨拶
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ミャンマーのジャーナリスト北角裕樹氏

ミャンマーで拘束されていたフリージャーナリストの北角裕樹氏が14日に無事帰国されました。北角氏は、1998年早稲田大学卒業後、伊藤忠商事を経て日本経済新聞に入社。大阪府議会副議長時代の2008年に大阪府政記者クラブに来られ、温厚な性格のなかに鋭い視点の人で、数多く取材を受け久しく意見交換した思い出があります。当時の写真を探したのですが見あたらず名刺をアップしました。
北角氏は、記者を辞め2012年に民間校長の公募で大阪市立巽中学校長に就任。その後、映画監督やミャンマーで日本語情報誌の編集長など異色の経歴と言えます。それゆえ大胆な取材がミャンマー国軍の取締りにあったのかも知れません。これからもジャーナリストの目で国内外の正しい情報発信を期待しております。

ホームページより転載
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藁葺き屋根の「洞ケ峠茶屋」

帰宅ルートで、国道1号線の枚方市(大阪府)と八幡市(京都府) の境界に、築100年以上の藁葺き屋根の「洞ケ峠茶屋」があります。都会のど真ん中に江戸時代にタイムスリップしたような風情なのですぐに分かります。
この店はご夫婦でソバやウドンを出されていますが、「ぼた餅」が看板商品です。口に入れた時、粒あんのほどよい甘みと粒を残したモチ米の食感が絶妙で素朴な美味しさが味わえます。しかもビックリのジャンボサイズで2個420円。だから「ぼた餅」だけを買いに来る人が多く人気です。私もたまに寄ります。
もうひとつ、ここは「洞ヶ峠を決め込む」という語源となった場所。天正10(1582)年の本能寺の変で、羽柴秀吉と明智光秀が山崎で対峙した時、筒井順慶が、この洞ケ峠に兵を進め戦況を見て有利な方へ味方しようとしたことから日和見の代名詞となりました。実際には順慶本人は大和の居城におり洞ヶ峠にはいなかったとも言われています。

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松花堂庭園

自宅からクルマだと5分ほどで、約22.000㎡の広さに約40種類の竹が植えられた回遊式の「松花堂庭園」があります。ここの「青もみじ」がとても美しい季節です。秋の紅葉も綺麗ですが、春から初夏にかけて若葉からどんどん緑の深みを増し竹林と苔の調和が実にすばらしい。緊急事態宣言で外出を自粛していますが、ほとんど人出がなく気分転換の散策に寄りました。
「青もみじ」以外に話題を二つ。
①「松花堂」といえばお弁当。ここが発祥です。江戸時代初期の石清水八幡宮の僧、松花堂昭乗が、農家の種入れの器をヒントに絵具箱や煙草盆として使用していたものを、昭和の初めに「料亭吉兆」の創始者湯木貞一が茶懐石の弁当箱に考案したそうです。そのためか、庭園内に「京都吉兆」が料亭を営業しています。
②エジソンが32歳の時、綿糸を炭素フィラメントにした白熱電灯を発明。しかし、45時間しか保たず、実用化を目指して繊維が太く丈夫な竹を世界中から集めて八幡の竹にたどり着きました。この竹を使用した電球は平均1,000時間以上も輝き続けたとそうで。
そんな松花堂庭園(八幡市が管理)をぜひご覧下さい。入園料は100円。

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大阪ビルメンテナンス協会に要請

大阪ビルメンテナンス協会へ石川博崇参院議員の青木正伸秘書と訪問し、加藤浩輔・同政治連盟理事長と懇談しました。席上、日頃の支援に感謝すると共に次期衆院選の佐藤茂樹(大阪3)、國重徹(大阪5)、伊佐進一(大阪6)、北側一雄(大阪16)、比例区近畿ブロック候補の支援をお願し推薦決定をして頂きました。
写真左から南恒彦協会事務局長、青木秘書、加藤理事長、鈴木

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大阪・黒門市場に期待

大阪・黒門市場商店街の方からの経営相談で久しぶりに黒門市場を訪問しました。10年ほど前からインバウンドで、平日の朝から大賑わいでしたが、新型コロナウイルス感染の影響で今ではその面影もありません。
私にとって、黒門市場は、高1の夏、魚屋さんにアルバイトをした思い出の場所。当時の顧客は、ミナミの飲食店が大半で、あとは近所の方で、下町の人情が漂う親しみのある街でした。淋しい限りです。
アジアの観光客で人気の心斎橋や道頓堀が近いこともあり、黒門市場にも訪日客が急増。ステーキの立ち食いメニューなどこれまでの顧客よりも訪日客をターゲットにしたため、大阪の台所としての黒門市場の食文化が失われ、日本客の足が遠のき今回のような結果になったと思います。
コロナ禍が治まれば、インバウンドが戻ってくるでしょうが、京都の錦市場や金沢の近江町市場のような地域との密着をベースにしながら観光客を受け入れる装置づくりが必要です。

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摂南大学のオンライン入学式

常翔学園設置校の摂南大学の入学式が、新型コロナウイルス感染対策のため昨年は中止されましたが、今年は大阪城ホールで開催されました。参加は新入生のみで、保護者や来賓にはYoutubeでライブ配信されました。
荻田喜代一学長の挨拶などのあとは、ダンスパフォーマンスや映像を駆使したキャンパスの紹介、在校生の体験談などこれまでにない新入生歓迎行事が行われ、コロナ禍に負けない新しいスタイルの入学式でした。

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「草津宿本陣」を訪問

お世話になっている企業の調査依頼で滋賀県内に。その合間に「草津宿本陣」を訪問。
ほぼ完全な形で残る本陣は、国史跡に指定され、敷地約4,800㎡、部屋数39室を数える最大規模の建物です。本陣は街道を往来する大名や公家などの休泊施設で、展示物には、浅野内匠頭、吉良上野介、新選組、皇女和宮、シーボルトが訪れた大福帳などが残され、江戸時代にタイムトリップしたような気分になります。
草津宿は、東海道と中山道が合流する交通の要衝で、旅籠が72軒あったとされ江戸時代は人と物が行き交う栄えた最大規模の宿場でした。
1816年に設置された「追分道標」には、「右 東海道いせみち/左 中仙道美のぢ」と刻まれ江戸時代の面影が偲ばれます。

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近江商人の発祥地「八幡堀」

「草津宿」まで来たのなら、近江八幡市の「八幡堀」にも行かれたらと紹介され近江商人の発祥地「八幡堀」まで足を伸ばしました。
戦国時代につくられた幅員約15㍍、全長6㎞に及ぶ「八幡堀」は、水運によって町の繁栄に大きな役割を果たしました。今でも堀に沿って白壁の土蔵や旧家などがそのまま残され、倉敷の美観地区も美しいが、それ以上に自然のたたずまいが美しい。コロナ禍の影響で観光客も少なく当時を偲ぶ風景を楽しめました。さすがに陸上交通の発展で水路の役割は廃れましたが、船着き場などを復元し時代劇のロケ地として観光スポットになっています。

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